「ものづくり」するのは良いのだけれど、作る為に犠牲にしていることが多過ぎる
ものづくり信仰が日本企業をダメにする | 東京に住む外国人によるリレーコラム | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
在日フランス商工会議所機関誌の編集長であるレジス・アルノー氏が書いた記事は
その通りだと思う。
とは言え、別に私は誰かを陥れたいとか思っていないので悪しからず。
議論だとかは適切な場所でやってください、ここは単なる個人のブログです。
■1.日本の職人は人を育てられない
職人は技術は良いのかもしれないけれど、人を育てることが下手糞だ。
良い職人と良い親分は違う。
経済は人、物、金の順番で動いている。
一番はじめの「人」を育てられることが出来なければその後の物、金に
結びつく事は非常に難しい。
逆に「人」を育てられることが出来ている企業やビジネスは
後から物と金が回ってくる。
こんなものは商売の大基本、大原則だ。
自分が修行時代に嫌だったことを弟子や後輩に対して同じように行う。
その行動が何をもたらしているか等の効果は考えない。
上がやるから自分もやる。上にやられたから自分もやる。
こんな幼稚な考えが横行している。
職人だけじゃないけれどこんな考えが日本中に蔓延っている限りは
日本で職人をはじめとした技術、産業、教育などの発展は望めない。
本当に才能のある人間がたまに出てきて、注目されて海外進出という
パターンは既に定着しつつある。
レベルの高い機械を持っていたところで操作する人間のレベルが低いのだから。
■2.物を作ったとしても自分じゃ使わない=自分じゃ使わないものを作っている
家電メーカーでも日本企業の迷走は止まらない。
ダイソンは「吸引力の変わらない掃除機」「羽のない扇風機」を開発した。
一方の日本企業は「しゃべる掃除機」「スマホ操作出来る超高級家電」を開発した。
純粋に、そして単純に開発した日本企業に聞きたい質問がある。
「それ自分で欲しかったの?」
なんて答えるのか本当に興味がある。
自分で欲しくないもの作っておきながら、売れないなんて言うのは
最早ビジネスでも商売でもなんでもない。
開発した技術者に責任はない。
新しい事に挑戦する事は技術者にとって呼吸をする事と同意義なのだから。
技術者にとってみれば必要のない挑戦、技術、知識なんてものはない。
問題はこの商品を社内で「売り出す」って決裁の判子を押した奴の存在。
レジス・アルノー氏が記事で取り扱っていたマーケティング以前の問題。
新しい商品を作ってCMを打つことが今までの日本のマーケティング。
本当の意味のマーケティングではない。
むしろ売り手に依存しているマーケティングって何でしょうね。
公共事業でもあるまいし。
「皆が買うから私も欲しい」という時代はとっくに終わっている。
■3.売りたいけど、買う側にお金がないから売れない
http://www.murc.jp/thinktank/economy/overall/japan_reg/watch_1310.pdf
フォード社は全ての人が車を購入出来るように安い車と、
従業員として働いて「車を買う」フローを世の中に創出した。
ところが今の日本の国内は逆だ。
国内で働いたところで儲けの望みが薄いと判断した主要産業は世界中に散らばった。
結果、人も物も金も国内から逃げて行っている。
正にマイナスのスパイラルである。
当然だが売上は上がらず、2013年度は2002年度とほぼ変わらない。
だが収益は上がっている。
理由としては人件費をはじめとしたコスト削減が背景にあるからだという。
お客さんとして扱っても良いはずの社内外の人材にお金を使うことを止めたのだ。
お金は天下の回りものであるから、自然と自分の首を自分で締めた以外にない。
お金を浪費しろと言ってるわけではない。
しかし原則に則ってお金を使うべきだとは思う。
お客を育てる事が出来ないということはその事業の継続性に影を落とす一因であることは間違いない。
三方良しなんて皆知っている事かと思ったけど、
案外知らない日本人が多いのですね。
win-winの関係だけじゃ視野が狭すぎる。
誰かの不幸で成り立っている仕事は継続する事は出来ないよ。